
元AKB48シンディーさんが難病「直腸膣ろう」になって考えた“私にできること”
1万人に1人といわれる難病「直腸膣ろう」を公表した元AKB48のCinDy(シンディー)こと浦野一美さん。「膣から便が漏れる」というセンシティブな病気ながらも、同じ症状で苦しんでいる人たちのために発信を続けるシンディーさんに、お話をうかがいました。
出産直後から感じた膣の異変

2023年10月に第一子となる女児を出産したシンディーさん。待望のわが子との新生活がスタートする一方、産後から膣まわりに違和感を覚えていました。
「無痛分娩の麻酔が切れた瞬間から会陰部に強烈な痛みがあり、鎮痛剤を打ってもらわないと耐えられないほどでした。退院後は悪露(おろ)のにおいが変だなと感じたり、量の多さに不安があったりしましたが、初めての育児で毎日が手探り。自分のことは後回しで『生理とは違うけれど、こういうものなんだろう』と思い込もうとしていたんです。何か異常があれば1カ月健診のときに産婦人科の先生が指摘してくれるだろうと期待していましたが、結局、何も言われませんでした」
自分の体に何が起こっているのかを理解できたのは、悪露が落ち着いた産後3カ月ごろのこと。膣の内側を針でチクチク刺されているようなむずがゆさを感じるようになり、おりものシートに茶色いものがつくようになったのです。意を決して手鏡で膣を確認すると、そこには目を疑うような光景がありました。
「膣に米粒状の便が入り込んでいて、本当にびっくりしました。『これは絶対におかしい』と確信し、原因を突き止めようと必死にネットで検索したものの、なかなか明確な答えは見つからなくて…。育児の合間に何日もかけてようやくたどり着いたのが『直腸膣ろう(ちょくちょうちつろう)』という病気だったんです」
直腸膣ろうとは、経膣分娩時に会陰部が損傷し、それによって膣と直腸の間に「ろう孔(ろうこう)」(トンネル状の穴)ができてしまう病気。これにより、膣からガスや便が漏れ、日常生活に支障をきたすことがあります。
経膣分娩の約1万人に1人が発症するまれな病気であり、一般的にはあまり知られていません。日本では年間およそ58万人が経膣分娩している(※)ことから、毎年およそ60人が新たに直腸膣ろうを発症していると考えられます。
産婦人科や肛門科の医師であっても実際に症例を見たことがある人は少なく、適切に診断できる医師はごくわずかです。一度できたろう孔は自然にふさがることはなく、手術が必要になりますが、その手術を行える医師も日本には数人しかいません。センシティブな病気であるがゆえ、誰にも相談できず、メンタルに不調をきたす患者さんも少なくないといいます。
「私の場合は、直径1cmほどのろう孔ができていたようで、排便するとその後しばらくの間、米粒状の便が膣から出てきたり、不快感が続いたりしていました。膣を洗うとすっきりするので、外出時は必ず携帯ウォシュレットを持ち歩いていました。一番つらかったのはエレベーターに乗るとき。ふとした瞬間にガスが出てしまうので、毎回とても緊張していましたね」
※厚生労働省令和5年(2023) 周産期医療の体制構築に係る指針
直腸膣ろう治療の名医との出会い

病名はほぼ特定できたものの、これまでの経緯から「専門医でなければ治療は難しい」と判断したシンディーさん。そこで頼ったのが、直腸膣ろうの名医として知られる橋本京三先生でした。
現在、多くの医療機関では、ろう孔を切除して穴をふさぐという手術方法を行っていますが、この方法では再発率が高いのが実情です。
一方、橋本先生の術式では、ろう孔を切除して穴をふさいだ上で、直腸と膣の間にある「会陰体」を再建します。長岡京病院の水黒知行理事長とともに約30年かけて改良を重ねてきた方法で、国内での手術件数は圧倒的に多く、再発率も非常に低いとされています。
「直腸膣ろうの患者さんが残してくれていたブログがとても参考になりました。橋本先生の術式で手術を受けた方が本当に多かったんです。橋本先生の記事も読んで、ぜひお願いしようと決めました」
すぐに橋本先生が院長を務める「橋本医院」に電話で相談し、2日後には京都まで診察を受けに行きました。
「橋本先生の触診はとてもスムーズで、すぐにろう孔を見つけてくれました。『絶対に治してあげるから』という言葉が、本当に心強かったです。症状のつらさはもちろんですが、誰にもわかってもらえないという孤独感があったので、ようやく安心できました」
同じ病気で悩む人のために記録を残したい

その後、術前検査を経て、手術を受けたのは昨年8月、産後10カ月目のこと。橋本医院はすでに閉院が決まっていたため、術式をともに確立してきた水黒先生が勤務する長岡京病院で手術を受けることになりました。
「手術はスムーズに終わりましたが、問題は術後でした。患部の痛みが激しく、痛み止めを飲んでも効かなかったり、夜になると発熱したりと、つらい場面も多かったです。そのたびに先生や看護師さんがとてもやさしく接してくださり、なんとか乗り切ることができました。病院食もとてもおいしく、10日間の入院中のささやかな楽しみの一つでした。抜糸のときは、あまりの痛みに悲鳴を上げて号泣しましたが、久しぶりに膣ではなくお尻からガスが出たときは、思わず感動してしまいました」
入院中、日記や動画で記録を残していたことも、大きな励みになったそうです。
「私が大好きなAKB48の『誰かのために』という曲に“私に何ができるだろう”という歌詞があるんです。入院中、何度もその曲を聴きながら、自分にできることを考えていたときに思いついたのが、記録を残すことでした。直腸膣ろうの情報は本当に少なくて『こんなことが知りたかった』『こんな情報があれば助かるのに』と感じることばかりだったので、自分が記録を残す意味があると思ったんです」
とはいえ、それを世間に公開するには大きな勇気が必要でした。好意的な反応ばかりではなく、時には心ない言葉を投げかけられることもあります。アイドル時代に何度もそうした経験をしてきたシンディーさんにとって、決断は簡単ではありませんでした。
そんな彼女の背中を押したのは、同じ病気で悩んでいる人たちの存在でした。
「年齢を問わず、ひそかに悩んでいる方がいること、そしてメンタルを病んでしまうケースもあると先生から聞いて『私の経験が誰かのためになるなら』と病名の公表を決意しました。私自身が患者さんのブログに救われたこともあり、7年ぶりにブログを再開。術前術後のリアルな様子はYouTubeにもアップしました。反響がどうなるかとても不安でしたが、同じ症状で悩んでいる方、妊娠中の方、病院関係者など多くの方から温かい声をいただき、公表して本当によかったと思いました」
不安な気持ちを少しでも楽に
現在、少しずつ入院中の様子などを公開しているシンディーさん。直腸膣ろうは非常にセンシティブな病気だからこそ、発信する際には「言葉の重み」を常に意識しているといいます。
「私の場合は橋本先生の術式でしたが、手術法はほかにもあります。私にできるのは、いち患者として情報を発信し、直腸膣ろうという病気の存在を知ってもらうこと。私の発信によって、私のように悩まなくても済む人が一人でも増えたらと願っています」
YouTubeでは、駅から病院までのアクセス方法や病室のルームツアーなど、エンタメ感覚で楽しめる動画を発信することにもこだわっています。
「私はもともとポジティブな性格なので、動画を見てくれる人たちの不安な気持ちを少しでも楽にできたらと思って編集しています。院内の雰囲気や入院生活の様子がわかるだけでも、安心材料になりますよね。『まわりの人に元気を届けたい』という気持ちは、アイドル時代も今も変わりません」
今後は、直腸膣ろうの患者さんを支えるパートナー向けの情報発信や、よりクローズドな形で患者同士が安心して話せる場の提供なども検討しているそうです。持ち前の明るさと行動力を武器に、直腸膣ろうの認知拡大に挑むシンディーさんの活動に注目です。
なお、長岡京病院の公式サイトでは、直腸膣ろうに関する無料のお問い合わせフォームが設けられています。「もしかして…」と思った方は、気軽に問い合わせてみてください。
●浦野 一美(うらの・かずみ)
1985年10月23日生まれ。埼玉県出身。愛称は“CinDy”。2005年にAKB48の1期生として加入。2009年からはSDN48と兼任で活動。現在はフリーで活動中。
ブログ:https://ameblo.jp/uranokazumi/
YouTube:https://www.youtube.com/@CinDyHolic
Instagram:https://www.instagram.com/cindy.cinderella/
[ 著者 ]