
キャリアを考える軸は「価値観・興味・能力」。小島貴子さん|60歳を過ぎて今も旬
日本の就職支援の現場にキャリアカウンセリングを取り入れ、若者から中高年まで多くの人たちを就職や再就職に導いてきた小島貴子さん(66歳)。原点には、専業主婦時代に見いだした「人の成長を見守る喜び」がありました。(からだにいいこと2024年10月号より)
目次
小島貴子さん/かえつ有明中・高等学校校長、キャリアカウンセラー

こじま たかこ
1958年、福岡県生まれ。高校卒業後、三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)入行。窓口業務や新人教育を担当後、出産のため退職。7年の専業主婦生活を経て、32歳で職業訓練指導員として埼玉県庁に入庁。入庁後に大学を卒業し、その後、学びを続けるために大学院も修了。キャリアカウンセリングを取り入れて実績を上げる。県庁退職後も埼玉県雇用人材育成統括参与・人事委員会委員などを務め、2007年より立教大学大学院ビジネスデザイン研究科特任准教授、東洋大学経営学部経営学科准教授などを歴任。2024年4月、かえつ有明中・高等学校校長に就任。
「伝説」と呼ばれたキャリアカウンセラー
7年間の専業主婦生活を経て、職業訓練指導員として埼玉県庁に入庁。当時の日本ではまだ珍しかったキャリアカウンセリングの手法を取り入れ、中高年の求職者を1000人以上も再就職に導くなど、驚異的な実績を上げて「伝説のキャリアカウンセラー」と呼ばれる存在となったのが小島貴子さんです。2024年4月からは、かえつ有明中・高等学校の校長として、生徒たちの成長を見守っています。
「私は人間の成長・発達に興味があるんです。人が変容していく様子はすごくおもしろい。職業訓練校で指導していたころも、教え子たちが一人前になっていく姿を見るのは本当にうれしかったですね」
その原点にあるのは、専業主婦時代の子育て体験です。長男の発語が遅いことを心配し、ママ友の紹介で知った保育園に相談した小島さんは、園長から「息子さんは何も問題ない。問題はあなたです」と言われて衝撃を受けます。
「『えっ、私?』と驚いたら、『あなたは理屈っぽくて頭で考えないと動けない人でしょ。それではお子さんたちが健やかに育たないので、この保育園に親子で通って、あなた自身も育て直しましょう』と提案されました。その園は子どもの生きる力をはぐくむ独自の保育を実践していて、子どもたちがキラキラと輝くように成長していく。園に通いながらその変化を目にするうちに、『保育士になりたい』と思うようになったんです」
人間の成長や発達への興味・関心が確実に芽生え始めていた小島さんですが、その夢を園長に伝えると、「またもや『あなたには向いていない』と却下されました」と小島さんは笑います。
「ではどうすればいいかと聞いたら、『外で働いて稼いだお金を園に寄付してください』と。そこでどんな職業なら女性が自立して長く働けるかを調べて、教員を目指すことにしました」
ママ友に「無理」と言われ奮起して公務員試験に合格
当初は専門学校の教員採用試験などを受けていましたが、その過程で職業訓練校の教員である職業訓練指導員という国家資格があることを知ります。がんばって勉強し、資格を取得した小島さんが免許交付の手続きについて埼玉県庁に問い合わせたところ、「うちでも職業訓練校の職員を採用するので試験を受けてみないか」と思わぬオファーを受けました。
「でも県庁の職員になるには公務員試験に合格しなければいけない。そこでママ友たちに相談したら、全員が『受かるはずないよ』と否定したんです。それを聞いた瞬間、『ここは混んでないな』と思ったの。みんなが『絶対に無理』と否定する場所ほど、実は空いていて競争も少ない。だったら私はそこへ行くぞと決めました」
そこから猛勉強した小島さんは、難関の公務員試験に見事合格。32歳で県庁に入ってから、大学も卒業しました。入行後の活躍は目覚ましく、職業訓練指導員として担当した高卒若年者クラスは7年連続で就職率100%を達成しました。しかし本人は「最初の3年は失敗だった」と打ち明けます。
私の指導は間違っている、その気付きが新たな転機に
「確かに全員就職させましたが、そのうち何人かはすぐに辞めてしまったんです。本人が希望した条件通りの仕事を紹介したのに、『やっぱりあれは自分がやりたい仕事じゃない』と言うんですね。どうやら私の就職指導は間違っている。そう気付いて、職業選択に役立つ理論や手法はないかと調べるなかで出会ったのが、米国発祥のキャリアカウンセリングでした」
さっそくキャリアカウンセリングを学んだ小島さんは、それを日本の職業観や雇用の現状に合わせてカスタマイズし、オリジナルのメソッドを確立しました。
「職業選択で一番重要なのは、給与などの条件ではなく、『自分の人生をどう生きたいか』を考えること。これが私の結論です。日本人キャリアに迷ったときは「『価値観』『興味』『能力』の3つの軸を明確にするといいですよ」と小島さん。「この3つが重なるところに職業や生活が重なれば、自分のキャリアや人生が納得のいくものになります」
さらに自身も60代を迎え、「残された時間は長くない」と実感します。大学を定年退職したら、もう定職には就かず、山歩きでも楽しみながらのんびり過ごそう。そう考えていた矢先に舞い込んだのが、かえつ有明中・高等学校の校長選考を受けないかとの打診でした。
定年後の計画が一転、校長として新たな挑戦を

「学校を見学して、生徒の主体性を重んじる素晴らしい教育を実践していると感じました。ただし生徒が幸せになるには、まず教員が幸せでなければいけない。だから私が校長として、先生たちがより働きやすく、みずからも成長できる環境を作りたい。やりたいことが明確に見えたので、あとひとがんばりすることにしました」
そして今まさにキャリアや人生に迷っている世の女性たちには、こんなメッセージを送ります。「大事なのは、人と自分を比べないこと。そして自分の能力や経験は堂々とアピールしていい。『私なんて』と謙遜していたら、チャンスは来ません。あなたの人生の脚本をどう書くかは、あなた次第。自信を持って “なりたい自分”になるシナリオを描いてください」
小島貴子さんが歩んだ奇跡
1970年(12歳)個性を重んじる母親の影響を受けて育つ

幼いころから母親に「人と自分を比べてはいけない」と教えられて育つ。洋服や持ち物も「友達と同じものが欲しい」という理由では買ってもらえず、ランドセルも当時としては珍しいオレンジ色だった。
1977年(19歳)銀行員時代は窓口業務で実績を残す

高校卒業後、銀行に就職。窓口担当として顧客のニーズに応じた対応が評判となり、取り扱い預金額が支店トップに。実績が評価され、女性は結婚退職が当たり前だった時代に第1子妊娠まで勤務した(写真右)。
1986年(28歳)退職後は専業主婦に2人の子育てに奮闘

23歳で結婚した夫との間に2人の男児を授かる。銀行を退職後は専業主婦として家事や育児に専念。子どもの発育について相談した保育園の助言により、自身も息子たちと一緒に園に通った。写真は園内で次男と。
1991年(33歳)猛勉強の末、公務員として再就職

7年間の専業主婦生活を経て、再就職を目指し職業訓練指導員の国家資格を取得。猛勉強して公務員試験にも合格し、埼玉県庁に採用される。写真は指導員として初めて受け持った卒業生を送り出したときの1枚。
2003年(45歳)キャリアのプロとしてカリスマ的存在に

当時日本に入ってきたばかりのキャリアカウンセリングを県庁の業務にいち早く導入。数々の就職支援プログラムやキャリア講座を立ち上げる。その実績が高く評価され、「日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー2003」を受賞。
ともに歩む大切なもの|パググッズ
「私はパグが大好きで、職場にはパグの絵やフィギュアを飾り、自宅では現在15歳の『あずき先輩』と暮らしています。人間の年齢で言えば90歳の高齢犬で、最近は歩くのもやっとですが、私にとってかけがえのない家族。夫との別れを乗り越えられたのも、あずき先輩がいてくれたおかげです」

人生を支える一言(本人直筆)

「自分の価値を生み出すのはオリジナリティーです。あなたは世界に1人しかいない唯一無二の存在なのだから、人のまねをする必要はない。だから私も混んでいない場所で人と違うことに挑戦したり、前例のないことを最初にやるように心がけてきました。みなさんも他人の価値観に左右されず、“誰でもない自分”を作ってください」
キャリアを考える軸は「価値観・興味・能力」
キャリアに迷ったときは「『価値観』『興味』『能力』の3つの軸を明確にするといいですよ」と小島さん。「この3つが重なるところに職業や生活が重なれば、自分のキャリアや人生が納得のいくものになります」
取材・文/塚田有香 撮影/神尾典行
(からだにいいこと2024年10月号より)
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